ミックスエンジニアが聴く
VSX-LX305はどこまで創り手の意図を再現できるのか
家庭用のホームシアターシステムは、
どこまで作り手の意図を再現できるのか。
AVファンなら、一度は気にしたことがあるかもしれない。
今回、株式会社WOWOW 技術局 制作技術部 エンジニアの戸田佳宏氏にパイオニアのAVアンプとKlipschのスピーカーシステムで
自らの作品を視聴いただき、制作者の立場から感想を伺った。
視聴したディスクは、UVERworldの東京ドームで行われた「KING'S PARADE 男祭り FINAL」のBlu-rayだ。同公演は、東京ドームに4万5千人を動員して開催された前代未聞の男性限定コンサート。2019年12月20日のファイナル公演は、WOWOWでの放送をはじめ、劇場上映、そしてBlu-ray版も発売された。Blu-rayの音声は2chのステレオの他に、Dolby Atmosが収録されている。Dolby Atmos版のミックスを手掛けた戸田氏から、制作上の苦労話やこだわりなどもじっくり伺うことが出来た。
(c)Sony Music Labels Inc.
雄叫びと熱気がみなぎるライブを鳴らすのは、昨年11月に発売されたパイオニアの「VSX-LX305」と、Klipschの「REFERENCE PREMIERE」シリーズだ。
LX305は、9chのAVアンプ。8K/60Hz に対応した最新のHDMI 2.1を備え、立体音響フォーマットはDolby Atmos、DTS:Xに加えて、IMAX enhanced にも対応。音場補正はDirac LiveとAdvanced MCACCの2種類を搭載し、音質比較が出来る世界随一のモデルだ。
REFERENCE PREMIEREは、フロント、センター、サラウンド、サラウンドバック、サブウーファー、そしてドルビーイネーブルドの7.1.2ch構成。本システムで戸田氏に視聴いただき、場の空気も暖まったところでインタビューは始まった。
取材・文:橋爪徹
戸田佳宏氏
WOWOWの制作技術部の音声担当として、音楽やスポーツ、舞台など様々な番組を手掛ける。最近では番組のミックスやマネジメントに加え、設備の構築なども担当。
――今日はお忙しい中、お時間をいただきありがとうございます。
早速ですが、戸田さんがWOWOWで手掛けられているお仕事について教えて下さい。
戸田 「WOWOWの制作技術部の音声担当として、音楽やスポーツ、お芝居など様々な番組に関わっています。番組のミックスやマネジメントに加え、設備の構築などの業務にも携わっています」
――イマーシブオーディオやマルチチャンネルとのかかわりは、いつ頃からでしょうか。
戸田 「WOWOWで最初にイマーシブオーディオを手掛けたのは、2016年3月のBEGINの25周年記念コンサート Sugar Cane Cable NETWORK TOURでした。これがきっかけで社内でも新しい取り組みとしてやっていこうとなりまして、自分自身も関わるようになりました。楽天ジャパンオープンテニスの映画館向けDolby Atmos配信(2018年)は弊社の栗原と一緒に制作しました。Nulbarichのファン向けのイベントとして、ライブの劇場上映(2019年)が行われましたが、これもDolby Atmos音声となります。他にもWOWOW Labアプリでは360 Reality Audio コンテンツも配信しています。
このようにイマーシブオーディオを複数手掛けていく中でUVERworldの東京ドーム公演も担当することとなりました。」
――「KING'S PARADE 男祭り FINAL」のBlu-rayをDolby Atmos音声で観賞いただきましたが、いかがでしたか。
(「在るべき形」の直前のMCから次曲の「ODD FUTURE」、そして後半の「Touch off」の3曲を視聴)
戸田 「まず、サラウンドの繋がりは非常にいいと思いましたね。天井のスピーカーが無いのにDolby Atmosらしさを感じられるなと驚きました。トップ方向の音の出具合も含め、家庭用でもここまで鳴らせることに、ポテンシャルの高さを感じました。我々は普段モニタースピーカーでミックスしますが、このような家庭用のシステムでも最後の調整はした方がいいと思いましたね」
本作のDolby Atmos音声のミックスは、WOWOWの試写室で行われたという。
Dolby Atmosはもちろん、AURO-3D 13.1ch、NHK 22.2chにも対応した
次世代のスタジオであり、スピーカーはMusik Electronic Gaithin製を
導入しているとのこと。サブウーファーを合わせると、
合計33本ものスピーカーを設置した、
まさに新しい立体音響フォーマットのためのスタジオといえよう。
――制作時にスタジオで聴いていた音と比べて、どこが違いましたか。
戸田 「センターチャンネルが思ったより出ていると感じました。ただ、一般家庭で楽しむ分には、そういうチューニングなのかなと理解できる範囲です。映画ですと、台詞はほぼセンターから鳴っていますので、このバランスなら聴きやすそうですね。帯域バランスとしては、ミッド帯域が強めな印象でした。この作品は、ローを如何に出すかを注力したのですが、ホームシアターでは完全再現は難しいとは思いつつも、もう少し出てもよかったですね。逆に作る側としては、家庭用のシステムでも意図した低域の感覚を味わってもらえるように極めたいと思いました。最終的にリスナーが受け取る音は、ルームアコースティックの要素も大きく影響してきますし、環境面も含めて、最大公約数となれるマスターをどう作っていくか考えていきたいです」
――音場補正「Dirac Live」のON/OFF比較も体験いただきました。
戸田 「OFFの状態でもスピーカーから視聴位置までの距離と、音量レベルの補正は掛っていると聞きました。ただ、Dirac LiveがONになると、サラウンドの効果が格段に変わって、各チャンネルに振った音もクッキリと聞こえます。ちゃんとマルチチャンネルらしさが伝わる、制作時に感じた音に近づいていると思えました。EQのさじ加減が好みで変えられるともっと面白いと思います」
実は、このEQの微調整は可能だという。専用のアプリで周波数特性のカーブを表示し、指で触って好みのカーブに変更してから、クラウドにアップロード。サーバーで処理したものをアプリにダウンロードして、最後は本体にトランスファーすることで使用が可能になる。本体には3つメモリがあるので、ゲームや映画、音楽など好みに応じたプリセットを用意していつでも呼び出すことができる。
――LX305は、Roon Tested対応のAVアンプです。ハイレゾ愛好者にも満足度の高い機能と言えますが、戸田さんはハイレゾについてどのように捉えていますか?
戸田 「表現の手法が増えたというのはよいことだと感じています。音楽のエンジニアさんに話しを聞くと、アーティストによって48kHzで録るか96kHzで録るか、それこそ新しいツールを選ぶような感覚で前向きに捉えていることが分かります。ただ、幅広いお客様が気軽に楽しめるようにハード面やサービス面も含めて、さらに整っていって欲しいなとは思います」
――課題はやはりそこですよね。私のようなオーディオライターとしては、普通の音楽ファンの方に如何にハイレゾを聞いていただくか、その手法を様々に提案してきました。情報発信の方法など、もっと洗練しなければなりません。
さて、視聴の感想はこの辺りにして、続いては作品内容について伺わせていただきます。まず、Dolby Atmos版のミックスを手掛けることになったきっかけを教えてください。
戸田 「先ほどお話したような前段の取り組みがあったことで、弊社の音楽のプロデューサーがイマーシブオーディオを認知することになりました。WOWOWでUVERworldの男祭りを放送することが決まったとき、これを3Dオーディオで作品化したら面白いだろうという話になって、Dolby Atmosを前提にした録音をすることにしました。Dolby Atmos版は、映画館で上映後、Blu-rayに合わせて最適化も行いました」
――映画館用のミックスとBlu-ray用のミックスは、同じDolby Atmosでも違うのですね。
戸田 「映画館の音作りをするモニタリング環境は、Xカーブというイコライゼーションカーブで調整されていまして、2kHz辺りから上が緩やかにロールオフしています。これは映画館のような大空間で鳴らすとき、人間の耳には高域が強調されて聞こえるため、フラットに聞こえるように補正する意味で使われています。Blu-ray版は、そのようなロールオフが必要ありませんから、マスタリングでは本来のバランスで聞こえるように微調整を行いました」
本作のレコーディングエンジニアは、ビクタースタジオ所属の八反田亮太氏が手掛けた。ライブ当日のレコーディングから2ch版のMIXまで八反田氏が行い、戸田氏はDolby Atmos版のミックスを担当している。ここからは音楽制作の過程をより深く掘っていこう。
――本作のオーディオデータは、どのようのかたちで提供されましたか。
戸田 「八反田さんがステレオでミックスしたPro Toolsセッションをマルチトラックの状態で受け取りました。トラックごとの音量バランスは八反田さんが調整した状態のデータを受け取っていますが、Dolby Atmos化にあたって最適化しています。トラック数は、ステージ上の楽器マイクとアンビエンス用を合計すると150ch以上に及びます」
―音楽的な部分がブレないように、Dolby Atmosへと仕上げていくのは困難だったのではないでしょうか。
戸田 「八反田さんが度々ミックスしている試写室まで来て下さり、一緒に調整作業を行うことが出来ました。Dolby Atmosのミックスを私が行った後、主に音楽的な修正を2人で細かく詰めていった感じですね。結果として、ステレオミックスとも印象が近いというか、あまりブレのない音になったと思います」
――確かに同時収録のステレオミックスと比較しても、音楽的な印象がほぼ変わらなかったのは私も体感しました。ちなみに通常のチャンネルベースと今回の様なオブジェクトベースのサラウンドでは、制作上の違いはどういったものがあるのでしょう。
戸田 「オブジェクトベースは、音場に音を自由に配置できるのが強みです。ただ、単に散り散りバラバラにオブジェクトとして配置し過ぎても、効果的に機能しません。あくまで、アクセントとして使うことで表現の幅が広がったり、イメージした音場に近づけられるのです」
――ライブ映像作品のDolby Atmosミックスを行う上で、こだわりや苦労した点を聞かせて下さい。
戸田 「トラック数がとても多いため、それをどのようにリスナーに伝えるかを考えました。ただでさえ音場が埋まっていますから、いかにアーティストの意図が伝えられるようにミックスするかは難しいところでした。
こだわりどころで言いますと、ドームコンサートの臨場感をしっかり感じていただけるように力を入れました。音楽だけを伝えようとすると、アンビエンスの成分は極論を言えば要らない訳ですが、ドームコンサートの臨場感を再現するには欠かせない要素です。音楽をきちんと伝えて、全体の雰囲気もリアルに表現するという点は、一番注意して作業したところです」
――その辺り、八反田さんとのエピソードはあったりしますか。
戸田 「ありますよ。例えば、ステレオだと聞こえづらかったシーケンサーの音をどうしようってなったとき、あえてトップ方向から鳴らしてみたんです。そしたら、ちゃんと聞こえますね!って八反田さんも面白がって下さって。Dolby Atmosというフォーマットを活用したことで、より表現の幅が広がったのは間違いありませんね」
――なんとも幸せな制作現場ですね。素晴らしいと思います。
個人的に気になった点も伺いたいのですが、自宅のシアタールームでトップスピーカーに耳を近づけたら、結構な音量で鳴っていたのが印象的でした。Dolby Atmosの映画ではさりげなく鳴っている作品が多いと思いますが、高さ方向の音場を作る上で意識されたことはありますか。
戸田 「やはり、包み込まれる感覚を再現できるようにすることですね。半球体の音場の繋がりを意識して、前後・左右・上下をどうバランスを取っていくかを考えて作っていきました。歓声がアリーナからスタンドへと盛り上がっていくシーンや、みんなで歌うコールアンドレスポンスなど、リスナーが会場にいるかのように自然と感じてもらえるように。
大きなコンサート会場ですと、ラインアレイスピーカーによって上からも音が振ってくるものです。主に前方から音楽が鳴っているという前提は保ちつつですが、縦方向の降り注ぐような音を再現する上でも高さ方向の音場は活かしていますね」
(c)Sony Music Labels Inc.
――本作は、ドームコンサートとDolby Atmosとの親和性の高さを実感できる内容でした。ドームの臨場感も圧倒的なクオリティだったと思います。戸田さん自身も東京ドームでコンサートの音を聞いたり、何か研究をされたのでしょうか。
戸田 「実は、自分も当日会場にいたんです。ライブ中は、邪魔にならない程度に気になるポイントへ足を運び、マイクが立っているところで音を聞いて気になったところは覚えておくようにしました。現場で音を聞いたことで、自分の感覚を実際のミックスにも活かすことは出来たと思います。幸いにもWOWOWは、これに限らずドームの現場は多いので、自分の中に音場感のベースはあったのだと思います」
――現場で聴いた生の体験があったからこそのミックスということですね。
本作はDolby Atmosの臨場感があったからこそ、行ったことのない自分でもその場に居合わせたような感動を味わうことが出来ました。音声フォーマットは、あくまで音の入れ物であり制作のツールですから、戸田さんの苦労とこだわりがクオリティを支えていることを改めて実感できました。今後のご活躍を楽しみにしております。
本日は、どうもありがとうございました!
インタビュー前に行った視聴では、
ありがたいことに筆者も戸田氏と近い場所で聴くことが叶った。
KlipschのREFERENCE PREMIEREは、アメリカンなサウンドを想像していた自分の予想を覆す現代的なものだった。数kHz付近に少しピークがあるものの、耳に痛い感じはない。中域は、リスニング用らしく適度に豊か。高い解像感はSEなどの緻密な音が飛び交うホームシアターとの相性がよいと思えた。
自宅のシアターは、サラウンドとサラウンドバック、トップミドルが全て10cm径フルレンジのため、どうしても低域をサブウーファー1台に頼るところがあった。REFERENCE PREMIEREで揃えられたシステムでは、サラウンドにバイポーラー型のRP-502S II、サラウンドバックにRP-6000F IIを使用したことで、中低域の量感は申し分ない。ボーカルの残響成分や沸き起こる歓声など、後方からも実在感たっぷりの音が聞こえてきたとき、その贅沢感にウットリしてしまった。また、MC中に拍手の波が前方から後方に移動する感覚など、自宅では気付けなかった音にハッとさせられた。
(c)Sony Music Labels Inc.
Dirac LiveのON/OFFもため息の出るような変化に圧倒された。OFFの場合は、スピーカーの存在を感じさせる音場感だったのが、Dirac Liveを活用することで、身の周りに音のプラネタリウムが出現する。個別のスピーカーの機種違いを一掃する統一感の高さ、タイミング(位相)の揃った心地の良いサラウンドに感動してしまった。音場「補正」というと、ネガティブな印象を持たれる方もいるかもしれないが、この品質なら積極的に使って欲しいと筆者は思う。EQカーブのカスタムも面白そうだ。
新生パイオニアのAVアンプ第一号であるVSX-LX305。復活の狼煙は、今後の発展を予感させる実力派のプロダクトからスタートした。個人的には、9chものパワーアンプを内蔵しながら、あえて出力を抑えることで、小型・軽量の本体を実現していることもポイントが高い。
読者に伝えたいのは、本特集のようにいきなり全てのスピーカーを揃えなくてもいいということ。最初は、フロントとサブウーファー、イネーブルドだけの前方のみのシステムでもきっと楽しめるだろう。余裕が出てきたら、リアにサラウンドを1組加えるだけでも一気に楽しみは深まる。サウンドバーでは味わえない本物のサラウンドは、貴方のシアターライフをもっと豊かにしてくれることだろう。